抄読会 2019.3.6

抄読会の記録です。

今回取り上げた論文はBaileyらによる
"Responders to rTMS for depression show increased fronto-midline theta and theta connectivity compared to non-responders."
2018年のBrain Stimulation誌に掲載されました。

うつ病の方の中で、rTMSに反応する(rTMSの効果が出る)人たちは、前頭葉中央側のシータ波のパワーと結合性がそうでない人より増加している(健常人に近い)という論文でした。

治療効果の予測は臨床現場において重要な課題です。医療資源が十分でない中、治療の見込みがない人に長期間にわたる治療を慶應大学での研究でも、rTMS治療の前後に脳波を取らせて頂いているので、治療予測の何らかの指標を確立することが可能となるかもしれません。そこで興味を持って読んでみました。


rTMSのうつ病に対する治療応用が進んできているものの、まだ「どのような生理的特徴を持った群に効果があるのか」という部分はよくわかっていませんでした。
今回は、方法うつ病患者さんにrTMSを施行して、ベースライン・1週間後・治療終了後に、ワーキングメモリー課題中の脳波を測定しています。rTMSの効果があった(治療前後でうつ病症状が50%以上改善した)10名と、そうでない 29名における脳波を比較したところ、rTMSの効果があった群の前正中線のシータパワーと結合性は、効果がなかった群よりも優位に増加していることが明らかになりました。しかも、機械学習の手法を用いると、感度と特異度はそれぞれ0.9を超えて、効果の有無を予測することができることが明らかになりました。

私としてはワーキングメモリータスク中の脳波であるというところが非常に面白いなと思いました。これまでの脳波研究では安静時の脳波が用いられることが多く、実際に脳に負荷がかかった時にどのように動くかは、予想するしかなかったのです。この方法なら実際の脳の機能を見ることができます。

しかし、今回の論文は対象者が少ないことや、今回の判別方法を他の集団に適応していないこと、またrTMSのプロトコルが確立されたものでないこと、また脳波の電流源推定の結合性をみているのではなく単純に電極ごとの結合性をみていることなどが、Limitationとして・そしてより工夫できる部分として挙げられます。

なるべく上記の弱点を克服したような結果を作っていけると良いですね。

第3回Brain Stimulation学会@バンクーバー

海外に行くのは5年ぶりだった出不精の増田です。
初国際学会:
第3回Brain Stimulation学会@バンクーバーについて報告したいと思います。

まずは空港の顔パスぶりに驚いた。すごい。あの出国・入国時の
face to faceのやり取りは完全にスキップされて、顔面認証である。それに機内。「さすがANAは液晶の画面が綺麗だけど、このリモコン押しにくいなあ」と手元の昔ながらのリモコンでぽちぽちとやっていたら、降りる直前に実はタッチパネルであったことに気がついて一人赤面していた。


今回は3日間の会期中、初日にポスター発表とオーラル発表という行程。


今回、事前に普通に2本ポスターで演題を出していたのだが、演題提出直後、野田先生の友人の USA Mayo ClinicPaul Croakin先生から突然「希少疾患に対するrTMSのシンポジウムをやるから、そこで話したらどうですか 」と連絡があった。そして初めての国際学会で何も知らなかった私は脊髄反射で「わかりましたがんばります」と返事をしてしまったのであった。


初めての国際学会ゆえに、オーラルで(しかも一般演題ではなくシンポジウム)発表することがどんなことかよくわかっていなかったので安請け合いしたが、周りから「周りは教授ばっかりだよねー」とか「初めてでオーラルってすごいねー」とかしばしば声を掛けられ、なんかやばいことしたかも・・・と思いながら当日を迎えてしまった。


まずはお昼のポスター発表。


初めて見に来てくれた方に嬉しくなって頑張って説明して、名前も聞いて、ドナルドさんか・・いい名前だなあ・・また会えるといいなあと思っていたら、数時間後に同じシンポジウムのシンポジストとして対面した。しかもどこぞやの小児科の教授だった。ドナルドなどと気安く読んで良いものではない。名前くらいチェックしておけばよかった。


そして夕方はそのシンポジウム。


シンポジストを見渡すと、偉そうな人(実際に偉い人)ばかりなので帰ろうかと思ったが、座長のDerrickPaul先生が、大丈夫だよ~と励ましてくれたので、安心してできた。その後もいろんな人が発表見たよーと話しかけてくれたので、やってよかったなと思った。


今回は、私の興味分野であるrTMSASD(自閉スペクトラム症)への応用とそのための神経生理解明というところで、示唆的な情報をたくさん得ることができた。


まずは、”どのように疾患と神経生理をリンクさせるか”、ということ。


RDoCのご時世ということで、バイオマーカーに焦点が集まっているが、精神疾患の枠を崩して症状自体を疾患横断的に評価していくことが望まれている。うつ病患者さんの安静時のfMRIのコネクティビティをクラスタリングして、それぞれのクラスターに応じた症状を検討するという手法の論文(Drysdale et al., 2017, Nature medicine)は会期中に何回も取り上げられていた。


この考え方からいくと、発達障害分野に関しては、もはやASDだからどうとかADHDだからどうとか言っている場合ではないのだと思う。常にオーバーラップの可能性、そして二次障害の可能性、さらには目には見えない内部完結的な症状(タイムスリップ現象や感覚過敏性など)の存在の可能性を念頭において評価しておかないと、解釈を間違うこともある。
その点で、ASD研究のアウトカムは、そもそも「社会性の欠如」「社会的ふるまい」でいいのだろうか?第一に、基本的に社会性の欠如≒環境との不適合であるので、本人だけに問題を帰着するのはあまり客観的な姿勢とは言えないと思う。第二に、社会性の欠如が中核症状とはいうわりに、多くの背景因子を想像せざるを得ない。表情の読み取りが悪いのが問題なのか、感覚過敏すぎてノイズ下で声が聞き取れないのが問題なのか、睡眠障害で眠いのが問題なのか、はたまた二次障害メインで集中力がないのか、、、社会性でくくられてしまうと思考停止に陥るような気もする。
実際のところ、医療者があーだこーだ言っても、当事者の意見を反映したアウトカムを制定していかない限り、rTMSが治療としての地位を勝ち取るのは難しいであろう。多分。知らんけど。(出た関西人!)


そして、”rTMSの刺激ターゲットをどうやって決めていくか”、ということ。


現在は、DLPFCMRIを使ったナビゲーションシステムで同定すると言うやり方がゴールドスタンダードになっている。これに対して、一つ面白いなと思ったポスター発表は、認知タスク中のfMRIを解析して、個人個人に合わせた治療部位を特定すると言う試み。この研究はうつ病が対象だったが、他の疾患にも応用できそうだなと思った。単純すぎるかもしれないけれど、チックの人たちはチックが出ている時の過活動な場所に、ASDなどで感覚過敏のあるひとには感覚刺激の時に異常に反応している場所に介入することで、効果が出るかもしれない。


そもそもどの部位がどの症状を担っているかなんて、安静時の脳活動だけ見ていても、わからない可能性もある。先日の抄読会で、安静時脳波からsalience networkを鑑別することは意味のあることだろうかと議論になった(勝手に私が疑問を呈した)が、同じような理屈に思えてくる。


さらに、上の話とも関係するが、生理指標と症状がリンクしていくことで、「どの症状があればどの場所を刺激すれば良いか」というのが定まっていく可能性も高い。まさにテイラーメイドrTMSの時代が近づいている。


上記のように色々と思いを巡らせることができたばかりでなく、rTMS/TMS-EEG関連で今までよく知らなかったことEEG-trigerd TMS, Deep stimulation, pulse adjustment手法, real time monitoring手法~NIRSを使って~, rTMSはアメリカではMDDOCDに対して保険収載されていること、他疾患への応用、cognitive-training-rTMS, Accelerated rTMS, ASDの患者さんで、rTPJdmPFCに対するrTMSLICIsuicidal behaviorのバイオマーカーになる可能性、Brain stormでの脳波解析、など、など) 

についても、思いを馳せて学ぶ機会となった。

また抄読会などで取り上げていきたいと思う。


スペシャルさんくす
最初から最後までご指導くださった野田先生 

発音・表記を丁寧に教えてくださった宮﨑先生、ムハンマド先生、越智くん

留守の間にrTMSを守ってくれた和田先生、中西さん、三村先生

そしてエールを送ってくださった皆々様、本当にありがとうございました。 

【レヴィナスのエチカ】

今日は先週に引き続き、自分にとっては約20年ぶりにレヴィナスの主著『全体性と無限』(Totalité et infini)および『存在するとは別の仕方であるいは存在することの彼方へ』(Autrement qu'être ou Au-delà de l'essence)を紐解いてみたい。レヴィナスの思想は割と難解なため解釈は散文調にならざるを得ない。以下に彼の思想を自分なりにとりとめもなく書いてみる。

 

『全体性と無限』では、まさに主体と他者の関係、特に「自己と他者の理解不可能性」について論じている。自己と他者の直接的なインターフェイスは「身体」となるが、レヴィナスはその中でも特に「顔」に着目する。ここで言う「顔」とは物理的な顔そのものではなく、表面的な顔から隠された「表情」や「思い」のことを指している。そして、レヴィナスは他者の表情そのものや言外の思いを完全に理解することは不可能であるため、自己にとって他者は永遠に理解不能な存在、すなわち「他者」であり続けると結論する。レヴィナスは「全体性」という言葉を、所謂オーソドックスな西洋哲学における主体概念、特にヘーゲル哲学に代表される、精神が世界を体系化していくという「絶対精神の弁証法による運動」と捉えている。レヴィナスはその時代における個人的背景もあり、そのような主体概念や世界観を半ば忌避していた。そして、レヴィナスは雁字搦めの全体性・全体主義を避けるには、全体に取り込まれない同一性、不確定な自己同一性が必要であると論じる。謂わば、掴み処のないヒステレシス的無限ループのような自己存在の在り方だ。このレヴィナスの「無限」には、デリダの『差延différance』を彷彿とさせる共通性がある。そして、理解不能な他者を受け入れ、他者を超えた無限を追求する営みの重要性を説いた。

 

レヴィナスは『存在の彼方へ』で、次のようにさらに踏み込んだ考察をする。人は「他者への責任を引き受ける」ことによって、はじめて本当の自由を得る。自分が他者の身代わりになるということは、自分の決心や約束とは関係なく、自分の存在を超えて、既に「召喚」されているということである。そして、他者への責任を担うこと、それが「善」につながる。しかも、この善は自らが決めることではなく、自ら選び取る時間も我々には与えられていない。既に自分の存在、主体性を超えて決められたものである。一種の運命や使命のようなものだ。『善は存在に先立つ』。これはサルトルの『実存は本質に先立つ』を超越した言葉のように見える。日常生活のコミュニケーションにおける「意味」についても、それは発話者の言語体系に基づいているわけではない。これも本質的には「他者」に由来する。ラカンの言葉でいえば『大文字の他者』だ。主体性とは、他者の身代わりになる「可傷性」、他者に対する「責任」をもってはじめて成立する。「善」や「正義」とは他者に近づくこと、他者に寄り添うことによってしか成し得ない。つまり、他者の責任を引き受けることで、自分がその場に存在しなくても、他者に何らかの影響を与えることができるのだ。

 

レヴィナスの言葉はあまりにも深い。仕事だけでなく人生にも通ずるものがある。

さて、そろそろ国際学会への出発準備をしなくては。

野田賀大

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