最近、久し振りに精神機能や心的活動そのものについて、たまたま脳科学的な観点から思いを巡らす機会があったので、完全に個人的見解ではあるが備忘録的に書いてみたいと思う。脳は<事物>を神経細胞の発火パターンで表象しているという神経科学的さらには「物理的表象主義」の立場で考えると(神経科学者、精神科医、哲学者の中には様々な立場・見解を持っている方がいらっしゃるとは思いますが)、日常生活におけるありふれた心的現象から精神科領域における様々な精神症状も究極的には各人の脳内表象であるということができるのではないかと自分は考えている(少なくとも現象学的にはそうだと言わざるを得ないと思う)。

 

しかし、先日ある会合でたまたまこのような話を少ししたところ、ある先生から「精神科における妄想などの思考障害をはじめとした精神症状は、脳内表象というレベルでは説明することができないのではないか?」という鋭いご指摘を受けた。その後、そのことが頭の中からずっと離れず、やや気になっていたので、今一度ここで簡単に整理してみたい。

 

まず、「表象」(representation; Vorstellung)について、ブリタニカ国際大百科事典の解説を参考にすると以下のような説明になる。

(1) 外界に刺激が存在せずに引起された事物・事象に対応する心的活動ないし意識内容のこと。さらに、以前の経験を想起することにより生じる記憶表象や想像の働きにより生じる想像表象などがある。刺激が現前せずに生じる意識内容という点で夢や幻覚なども表象の一つとされる。また、場合により具体物に対する関係の程度に応じて心像・観念とほぼ同義に用いられる。ただし、刺激が現前した場合に生じる知覚像も表象に含めて知覚表象と呼ぶこともある。(2) 現在では、特に思考作用にみられるように、種々の記号・象徴を用いて経験を再現し、代表させる心的機能を指す。この場合は代表機能の語が用いられることが多い。」

 

したがって、「表象」の定義にもよるが、自分は脳内表象という言葉を、あくまでも広義の「表象」という意味で用いているので、定義的にはそれほど的外れなことを言っているわけではないようである。また、「表象」というのは、一般的には、感覚質を指す「クオリア」よりも対象範囲が広く、様々なクオリアにより構成された複合的クオリア、さらにはそれらにより現前する高次機能をも含む。

 

一方、人間<主体>にとって「不可能なもの」(=現前しないもの・経験不可能なもの)、ラカンの言葉でいえば<現実界>、すなわち「シニフィエなきシニフィアン」・「対象a」・「ファルス」といった「世界の外部」に精神症状の起源を求めている立場からすると(このような立場は物理的表象主義には真っ向から相反することになるのだが)、思考障害などは<主体>による表象機能だけでは説明不能な現象ということになるだろう。しかし、自分の立場からすると、人間<主体>には「語りえないもの」、すなわち「言語化できないもの」で精神機能を解き明かそうとする立場というのは、そもそも自己矛盾的トートロジーのような気がして、この命題に対する問題解決には決して繋がらないのではないかと考えている。

 

さて、皆様はどうお考えでしょうか?

 

野田賀大